随神門(出羽三山神社)概要: 随神門は出羽三山の正門にあたり元禄年間(1688〜1703年)に矢島藩(秋田県由利本荘市矢島町)藩主、生駒氏が家運繁栄と極楽往生を祈願して寄進した建物です。
入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門、外壁は真壁造、板張、柿渋塗装、神仏習合時代は本坊の仁王門として内部には仁王像(同じく生駒氏が寄進したもので元禄8年:1695年、京都出身の大仏師 法橋善慶の作とされます。海路で酒田まで運ばれ、陸路で当地まで運ばれました。)が安置されていましたが、明治初頭に発令された神仏分離令により仁王像が黄金堂(黄金堂は現在は正善寺が所有、正善寺は神仏分離の際、仁王像だけでなく、五重塔の本尊など数多くの仏像が同時に移されています。)に移され新たに宝暦2年(1752)に大仏師大熊宮内が彫刻した櫛石窓神・豊石窓神(豊磐間戸命と櫛磐間戸命は太玉命の御子神、門を守る神、邇邇芸命が高天原から日向国の高千穂峰に天孫降臨した際、宮殿御門の守護を担う為に共に降臨を果たした神)の随神像が置き換えられ随神門と称されるようになりました。
随神門を入ると出羽三山の神域とされ、江戸時代以前は仁王像、明治時代以降は随神が門を護り、穢れや邪悪が神域に入るのを防ぐとされています。出羽三山神社が神仏習合していた時代の建物として大変貴重なものだと思います。
出羽三山が日本遺産に認定されると、その構成文化財に指定されています。
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