鐘楼堂(出羽三山神社)概要: 現在ある鐘楼堂は元和4年(1618)、最上源五郎家信(最上家親の嫡男、最上家13代当主、山形藩3代藩主)が寄進された古建築物です。境内の中では建築年からいうと五重塔に次ぐ古さを誇っています。
切妻、茅葺で柱や梁、垂木など建物の規模以上に太い材(茅や、豪雪、鐘の重量を考えての事)が使われていることで力強さと共に存在感が感じられます。
又、境内は豪雪地帯で、柱が基礎石から直接立ち上がっている古式を継承している為、柱の下部は何度か改修されている跡が見られます。鐘楼堂は江戸時代初期に建てられた鐘楼建築の遺構として大変貴重な事から平成12年(2000)に国指定重要文化財に指定されています。
鐘楼堂に釣り下がる梵鐘は「建治の大鐘」と呼ばれ、鎌倉時代の蒙古襲来の際、羽黒の龍神に祈祷を捧げた所、神風が吹き元軍を撤退させる事が出来た事から時の執権北条時宗が寄進したものとされます。
建治の大鐘は建治元年(1275)に鋳造、現在の鶴岡市大山出身の鋳物師、伊藤助右衛門作、口径1.68m(5尺5寸5分)、口唇厚22cm(7寸1分)、総高2.86m(9尺4寸2分)、重量(2千貫又は2千6百貫)、時代背景や意匠(池の間には雲中を飛行する天人や、池中蓮華、鐘身には天人の図)、大きさが日本で3番目(東大寺:奈良市、金剛峯寺:和歌山県高野町に次ぐ)などの理由から鐘楼堂同様に昭和48年(1973)に国指定重要文化財に指定されています。
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