芭蕉塚(三日月塚)概要: 松尾芭蕉は奥の細道行脚の旅で元禄2年(1689)6月3日に羽黒山に登拝し中腹にある南谷別院(玄陽院)で宿泊、6月4日に本坊宝前院若王寺で会覚阿闍梨のもてなしを受け俳諧興行(句会)で「有難や雪を雪をかほらす南谷」を詠んでいます。
6月5日に羽黒山山頂に鎮座する羽黒大権現(現在の出羽三山神社三神合祭殿)で参拝、6月6日には月山に登拝し山頂にある角兵衛小屋に宿泊し「雲の嶺いくつ崩れて月の山」の句を残し、6月7日に湯殿山に登拝し、再び羽黒山の南谷別院に戻り宿泊しています。
6月8〜9日はそのまま南谷別院に滞在し和交院の会覚などと句会を開き、6月10日に羽黒山を下山し鶴岡に向っています。
「涼しさやほの三か月の羽黒山」の句は芭蕉が出羽三山に滞在した何れかの時点で読まれた句で、特に6月3日の登拝当日は夕刻からの行軍だったので三日月が見えたと思われる参道の一之坂から南谷に至る道すがらの情景に当てはまるとされます。
現在の芭蕉塚(三日月塚)は明和6年(1769)に芭蕉を偲んで建立されたもので向って左側の石碑には「三日月塚の良星雨根かたふき最中に苔むして○○を酒掃して」、左側の石碑には「燈篭一基を捧侍願徳光長く伝へて輝く我希のみ」、向って右側の石碑には右に「ひかり増せ燈篭の月も三ヶ月の影」、正面に「明和六己丑季秋羽州庄内遊耕舎祇松」が刻まれ「涼しさやほの三か月の羽黒山」が詠まれた場所とされます。
|