出羽三山神社: 天宥社

  山形県:歴史・観光・見所出羽三山:歴史・観光・見所出羽三山神社(三神合祭殿)>天宥社

概要・歴史・観光・見所
天宥社(出羽三山神社)概要: 天宥社は羽黒山中興の祖と言われる天宥法印を祀った神社です。天宥法印は寛永7年(1630)、25歳で第50代羽黒山別当に就任、当時出羽三山は戦国時代の争乱や兵火により衰微し、各登山口が別個の勢力として統一制を欠き往時の勢いはありませんでした。天宥は幕府の実力者である天海大僧正が天台宗だった為、真言宗だった出羽三山全山を天台宗に改宗し幕府の庇護を得ようと画策、寛永18年(1641)には天海僧正に弟子入りし、天海の「天」の字を賜り宥誉から「天宥」に改称しています。天宥は布教制度を確立し、日光東照宮(栃木県日光市:徳川家康の霊廟、創建には天海大僧正が大きく関わっています。)の分霊を勧請し東照社を創建、さらに堂宇の再建と改修、参道の石段の整備た石灯籠の設置、須賀の滝の造園など数々の実績を残しています。又、新田開発や植林など産業にも力を入れ羽黒山の発展に尽力を尽くしました。しかし、半ば強行に改革を進めていた事もあり、寛文8年(1668年)、反対派からの工作などで幕府の裁定で敗訴、さらに外護者だった庄内藩主酒井氏とも対立した為に新島(東京都新島村)に流され7年後、新島で82歳で入寂しています(天宥が出羽三山から排斥後は記録が無く長く不詳でしたが、昭和に入りようやく新島に流された事が判明しています。新島では島民に学問などを教えていたそうで文化的発展に尽力しています)。現在の社殿は平成4年(1992)に建てられたものですが古くから崇敬され神仏分離令前は御霊社に祀られていたそうです。社殿の前には新島より寄進された石灯籠が立っています。

天宥社:写真

天宥社
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