原田城(川西町)概要: 原田家は伊達家の初代とされる伊達朝宗の代からの譜代の家臣で、歴代当主は忠臣の1人として伊達家家中でも重きを成しました。原田城は伊達家15代晴宗が置賜郡に進出し居城を米沢城に遷した天文年間(1532〜1555)前後に原田家14代美濃介が築いたとも言われ、現在でも本丸などの郭の平地や土塁、空掘などを散見できます。伊達家17代当主伊達政宗が天正19年(1591)に米沢城から岩出山城(宮城県大崎市岩出山)に移封に伴い原田家17代当主宗時もこれに従い当地を離れています。19代の原田甲斐宗輔は船岡城主4300石を領するまでになりましたが伊達騒動の首謀者の1人とされ酒井雅楽頭忠清邸宅で伊達安芸宗重を殺害し、その場で伊達家家臣から討たれます。原田城は藤ヶ森と呼ばれる丘陵に築かれた平山城で、三方を崖地、背後を吾妻連峰で囲われた天然の要害で前方を流れる犬川を天然の堀として見立てていました。現在は城跡一帯が置賜公園やダリヤ園として整備されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-川西町・川西町観光協会
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