川西町(歴史)概要: 川西町の歴史は古く200基近い古墳がある下小松古墳群(国指定史跡)や東北地方では最大規模を誇る天神森古墳(山形県指定史跡)など多くの古代史跡があり川西町が古代山形県では重要な地域だった事が考えられます。
中世は伊達氏が一帯を支配し、川西町周辺は重臣である原田氏を配します。原田氏は原田城を中心に町づくりを展開し菩提寺である東陽寺を開山するなど力を入れます。
伊達氏は小田原の陣へ遅参した為、岩出山(宮城県岩出山町)へ国替えとなると原田氏もそれに従います。
江戸時代に入ると上杉領となり最上川舟運の発達によって物資の集積が進み山形県南部有数の経済都市に発展していきました。
明治時代初期にはイギリスの女性紀行家イザベラ・バードが川西町を訪れていて著書である「日本奥地紀行」に 「『鍬(くわ)で耕したというより鉛筆で描いたように』美しい。 米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培し、実り豊かに微笑する大地であり、 アジアのアルカディアである。」と記しています。
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