長井市(歴史)概要: 長井市は古来より交通の要所とした重要視された地域で、古くは安倍貞任の娘とされる卯の花姫が館(卯の花館)を築き源義家との戦に備えたと伝わっています。鎌倉時代に入ると鎌倉幕府の御家人大江氏が長井氏を名乗って置賜地方を統治し、長井市周辺には家臣である大須賀長光を配しました。
戦国時代には伊達氏の支配となり長井市にある小桜城には重臣である片倉氏が入り鮎貝氏や最上氏の南下を抑えました。江戸時代に入ると米沢藩に属し、1国1城令が発せられている為、城郭は築かれませんでしたが代官所が設けられ寺嶋家が勤めました。
寺嶋家は善政を敷いたとされ、「奥の高野」とも称された遍照寺を庇護し堂宇の改修などに援助したそうです。長井市は最上川舟運の最終港があった事もあり米沢藩の外港として多くの物資が集められ、青苧などの商品作物は青苧御蔵に一旦入れられた後に奈良や小千谷など各地に輸出されていてました。
明治以降もこの地方の中心都市として発展した長井市には西置賜郡役所(長井市指定文化財)や旧桑島眼科医(長井市指定文化財)、旧小池医院などの洋風建築も多く見かけると同時にやませ蔵や丸大扇屋(山形県指定文化財)などの豪商の町屋建築も散在し当時の繁栄を現在に伝えています。
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