撞木橋(長井市)概要: 撞木橋の歴史は古く慶長年間(1596〜1615年) に架けられたのが始まりとされ、江戸時代末期には蘭学医で文人でもあった長沼牛翁が橋の袂に丁橋庵を設け長井八景に数えられました。案内板によると「橋の形がT字形で鐘を鳴らす鐘木に似ていたので鐘木橋と呼ばれた。昔はここで二本の川がY字形に合流し、横50メートル、縦17メートルの大きさの橋だったという。西にある名刹摂取院は信仰と学問の中心で、寺子屋修身館(1853)があった。近くの常楽院に隠居した名僧宥日上人が衣婆を枝にかけた松もこの橋の北のたもとにあった。今の橋は昭和6年に架けられたが橋の両側の常夜燈も太平洋戦争中失われた。戦後、長井市政30周年を記念して再び安らぎの灯をともし球状を復元するため、県と市と町の人々の善意を奉仕によって昔の形のまま常夜燈が設置された。 中央地区文化振興会」 とあります。撞木橋は「地域のシンボル、誇りとする橋」として当時の建設省による「手づくり郷土賞」に受賞しています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-中央地区公民館・中央史談会
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