東置賜郡高畠町(歴史)概要: 高畠町には古社が多く日本三文殊の1つに数えられる亀岡文殊堂(大聖寺)は大同2年(807)に徳一上人が開山したと伝えられ、貞観2年(860)には安久津磐三郎と呼ばれる豪族が慈覚大師と共に安久津八幡神社を勧請したと伝わっています。平安時代末期には樋爪五郎季衡が高畠町一帯を支配しましたが鎌倉時代になると御家人だった大江氏の一族が長井氏を名乗り置賜地方を統治します。
天授6年(1380)に伊達氏が置賜に侵攻し、時の領主だった長井広房は非業の死を遂げます。伊達氏は高畠城をこの地方での本拠とし、伊達政宗が米沢城から岩出山城(宮城県大崎市岩出山)へ居館を移すまで伊達氏の支配が続きます。その後は蒲生氏、上杉氏と領主が変わり、寛文4年(1664)に上杉氏が15万石に石高が減らされると天領となります。
明和4年(1767)に織田信浮(織田信長の嫡流)が2万石で高畠藩を立藩しますが、織田領は現在の高畠町だけでなく、天童市や福島県の信夫郡などに分散してあった為、領地経営は混乱を極め、飢饉や高幡陣屋の火災なども重なり財政が悪化したそうです。三代藩主だった織田信美は所領の6割を占める天童(天童藩)へ本拠を移す事を幕府に求め、文政11年(1828)に認められ天保元年(1830)に天童へ移ります。高畠には代官所を置いて支配しますが、その後は天領や米沢藩に属すなど複雑な経緯を辿り、農民も耐えかね一揆が起きるなど不安定な状態で明治維新を迎えます。
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