西置賜郡飯豊町(歴史)概要: 飯豊町の歴史は古く、萩生石箱遺跡(飯豊町指定史跡)は縄文時代中期にあたる紀元前2千年から紀元前1千2百年に設けられた竪穴式住居跡とされます。白雉3年(652)に飯豊山が開山すると登拝口の1つとして栄え江戸時代には米沢藩主上杉家の庇護の下、大日杉に岩倉神社が創建されています。平安時代に入ると中央から仏教も伝来し天養寺観音堂(中村観音)が開山、本尊の聖観世音菩薩像と観音堂は山形県指定文化財に指定されています。
中世に入ると長井庄の地頭として当地に配された長井氏の支配下に入りましたが、伊達家8代当主伊達宗遠が南朝暦元中2年、北朝暦至徳2年(1385)に長井氏を滅ぼし置賜郡を掌握すると、当地には家臣である国分丹後守政信を配しました。政信は萩生城を築城すると11代に渡り城主を歴任し天正19年(1591)に豊臣秀吉による奥州仕置きにより米沢城の城主だった伊達政宗が岩出山(宮城県大崎市)に移封になると国分行信も随行しています。
江戸時代に入り米沢城下と日本海を結ぶ越後街道が開削されると街道沿いには宿場町が整備され飯豊町では松原宿や手ノ子宿が設けられました。特に手ノ子宿は米沢藩から重要視され、町の中央部には枡形が設けられ町上、町中、町下、南町、北町の5つの町があり旅籠や牛馬宿、茶屋等が設けられました。宿場の指導的な役割をもつ問屋職は開宿当初は湯村家が担っていましたが享和3年(1803)に問屋株を一族である横山家へ移譲し以後横山家が問屋となり宇津峠の道普請など尽力しています。
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