中村観音(天養寺)概要: 松尾山天養寺は山形県西置賜郡飯豊町大字中に境内を構えている真言宗の寺院です。天養寺の創建は不詳ですが平安時代に開かれた飯豊町最古の寺院とされ、伝承によると、最初の伽藍は大同年間(806〜809)に飛騨の匠が一日で建てたと伝えられています。本尊の木造聖観音像の特徴も平安時代後期と推定され、その頃に創建されたと思われます。度々火災により伽藍が焼失し記録なども失われ昭和22年(1947)の火災では観音堂以外の建物が完全に焼失しています。
中村観音の本堂である観音堂は室町時代中期の応永21年(1414)再建されたもので、宝形造、銅板葺(旧茅葺)、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、素木板張、四方に1間分の縁廂が廻り風除けの板を張っている為に外見は5間堂のように見えます(寛正7年:1466年に奉納された扁額で再建年が記載)。内部は前面1間分が外陣、中央から奥の2間分が内陣で、内陣中央には厨子が設置され本尊が安置され建物に施された彫刻や木組など室町時代の御堂建築の特徴が見られます。
中村観音堂は建築年が明確で飯豊町最古の木造御堂建築の遺構として貴重な事から昭和30年(1955)に山形県指定有形文化財に指定されています。本尊の木造聖観音像は平安時代後期に彫刻されたと推定され、像高179.8cm、桂材、一木造、素木造り昭和35年(1960)に山形県指定有形文化財に指定されています。
中村原土壇は中軸線上に観音堂が配されている事から修験道の祈祷壇の跡又は宗教的な施設と推定されるもので、一辺8.4mの方形の土壇の周囲には幅1.7m、深さ0.4mの空堀が廻っています。中村原土壇は昭和27年(1952)に山形県指定史跡に指定されています。置賜三十三観音霊場第4番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:ゆめのよに ふきおどろかす まつかぜを よくよくきけば みのりなるらん)。山号:松尾山。寺号:天養寺。宗派:真言宗。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-飯豊町教育委員会・中村観音堂保存会
|
|