西置賜郡白鷹町(歴史)概要: 奈良時代から平安時代に入ると当地方にも中央の宗教観が浸透し円福寺観音堂や深山観音堂、杉沢観音堂などが創建されています。神道的には主に新潟県と東北地方の日本海側に見られる古四王神社が当地方まで信仰を広げ小社ながら数多く鎮座しています。
平安時代後期の永長元年(1096)には荒川次郎清泰が八乙女宮に荒砥城を築き、鎌倉時代には大江氏の一族である長井氏の支配下に入ります。康暦2年(1380)に長井広房が伊達宗遠に敗れると、以後、伊達氏の支配下に入り元中年間(1384〜1392年)には伊達氏の家臣馬場将監が荒砥城を大改修しています。
天正19年(1591)に伊達政宗が岩出山(宮城県大崎市岩出山町)に移封になると会津領主となった蒲生氏郷の家臣水野三左衛門が当地にはいされています。
江戸時代に入ると米沢藩に与し、米沢城下と山形城下を結ぶ狐越道が整備され宿場町として発展しました。
|