仏坂観音(十王院)概要: 仏坂観音の創建は不詳ですが保安年間(1120〜1124年)に開かれたのが始まりと伝えられています。康永4年(1345)に伊達行朝が観音堂を再興し寛文5年(1665)に堂宇の再建が行われています。
享和元年(1801)の最上騒動により堂宇が焼失し、享和2年(1802)に宝形造、17尺四方の観音堂が再建されています。現在の観音堂は昭和42年(1967)の豪雪で倒壊した後の平成19年(2007)に再建されたもので宝形造、銅板葺、桁行2間、梁間2間、正面1間向拝付。
元々の本尊は運慶が行基菩薩(奈良時代の高僧)作の馬頭観音像を胎内仏として彫刻したものでしたが江戸時代に焼失し、その後に改めて彫刻されました。境内は白鷹と山形を結ぶ街道沿いあり、馬の守護神である馬頭観音像を祭っていた事から牛馬に関わる人達から信仰の対象となり旧7月10日の縁日には正装した馬と共に多くの参拝者が訪れました。養蚕が盛んになると養蚕の守護神として信仰されるようになりました。
別当寺院だった十王院の創建は永享2年(1430)、清英法印によって開かれたのが始まりされ、天保元年(1573)に再興されています。出羽三山の羽黒山寂光院派に属していた事から修験の拠点として栄えていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令と、修験道廃止令により十王院を改め宝珠山積善寺となり、その後衰微し廃寺となっています。
置賜三十三観音霊場第20番札所(札所本尊:馬頭観世音菩薩・御詠歌:のをすぎて やまぢにむかふ ほとけざか みねのうすぐも はるるけしきぞ)。宗派:天台宗。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-仏越馬頭観音保存会
・ 現地案内板-十王中山間地域推進協議会
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