関寺観音(円光寺)概要: 関寺観音は山形県西置賜郡白鷹町十王に境内を構えています。関寺観音堂の創建は不詳ですが、伝承によると大同2年(807)、行基菩薩(平安時代の高僧)によって開かれたのが始まりと伝えられています。その後荒廃しましたが康永3年(1344)、藤原行朝(伊達家7代当主)によって再興され、明治5年(1872)の火災により焼失し、明治7年(1874)に浄財を募り再建しています。
観音堂は置賜三十三観音霊場の中で笹野観音堂(米沢市)に次ぐ規模とされ、宝形造り、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、素木板張り。別当である鶏鳴山円光寺の創建も不詳で天平年間(729〜749年)に行基菩薩により開かれたのが始まりと伝えられていますが、江戸時代末期の火災により堂宇と共に多くの寺宝、記録なども焼失した為、それ以前の詳細は不詳となっています。
寺外の記録としては安政2年(1855)に編纂された「東講商人鏡」に円光寺の境内には本堂の他、観音堂、弁天堂、神明社、鳥居、地蔵堂などが描かれた俯瞰図が掲載されている事から往時は修験道の一大拠点として寺運も隆盛していたと思われます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により神式色は一掃され明治8年(1875)には柱周囲1.8m、高さ4mの大鳥居が破却され、明治14年(1881)には地蔵大菩薩堂が境内外の現在地に移されるなど境内の縮小が図れ衰微したと思われます。置賜三十三観音霊場第13番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:のちのよを ねがふこころは かろくとも ほとけのちかひ おもきせきでら)。宗派:真言宗豊山派。本尊:大日如来(円光寺)。
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