高玉観音(円福寺)概要: 高玉観音堂は山形県西置賜郡白鷹町高玉に境内を構えています。高玉観音堂の創建は不詳ですが、伝承によると延暦15年(796)坂上田村麻呂が東夷東征の凱旋の際、開かれたのが始まりとされます。これは本尊の銅造観音菩薩立像が7世紀末の白鳳時代に製作されたことに起因していますが、詳細は不明で伝承の域を出ません。
明確なものとして永禄年間(1558〜1569年)に高玉城の守護神として創建されたのが始まりとされ、江戸時代中期に火災により焼失し、その後現在地に境内を移しています。現在の観音堂は天保12年(1841)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、向拝木鼻には象と獅子、欄間には中国故事の彫刻が施されています。
観音堂脇の養蚕堂は、米沢藩領で養蚕を奨励し興隆に尽力した9代藩主上杉鷹山の功績を偲んで建立されたもので土蔵平屋建て、切妻、銅板葺、妻入、外壁は白漆喰仕上げ。
高玉観音堂にある観音菩薩立像は案内板によると「像高29.5センチの観音菩薩立像は、7世紀末に造られた山形県最古の金銅仏の1つである。(麻木修平先生の鑑定)火災のためか右手先と顔面に損傷があるが、白鳳期の特徴が良く表れている貴重な仏像である。」とあります。
観音菩薩立像は山形県最古の金銅仏の1つで、東北地方で見ても数少ない作例として貴重な事から昭和62年(1987)に山形県指定有形文化財に指定されています。
置賜三十三観音霊場第7番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:みねにふく あらしはのりの しるべにて むじょうのゆめを さますなるらん)。 宗派:真言宗豊山派。本尊:大日如来(円福寺)。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山形県教育委員会・白鷹町教育委員会
・ 現地案内板
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