米沢藩

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米沢藩概要
米沢藩概要: 戦国時代末期、上杉景勝が五大老の一翼を担う120万石の大大名として南奥羽を支配し米沢領は家老である直江兼続が30万石で配されます。関が原の戦い後、西軍に組した景勝は米沢領30万石に減封され、米沢藩を立藩、家臣は120万石時代と変わらなかった為、財政面では慢性的に逼迫した状態となります。その為、2代藩主上杉定勝は新田開発や殖産業が奨励し実石が51万石余とかなり改善されましたが寛文4年(1664)、3代綱勝が嫡子なきまま急死した為、改易は免れたものの15万石に減封され綱憲(綱勝の妹と吉良家との子共)が養子として認められました。この時も家臣の削減が行われなかった為、さらなる財政悪化を招きました。上杉治憲(鷹山)が9代藩主に着任すると財政改革を断行し竹俣当綱と莅戸善政などの能力の高い家臣の登用や灌漑事業による新田開発、絹織物や桑、漆などの特産物の奨励、農村改革、倹約、藩校である興譲館の開校などを行い一定の成果を上げました。戊辰戦争の際には4代藩主綱憲の就任に尽力した会津藩(福島県会津若松市)の藩祖保科正之以来、昵懇となった会津藩を擁護する立場をとり、奥羽越列藩同盟では中心的な役割をもち、新政府軍と対立しています。戦後、米沢藩は14万7千石に減封されています。
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米沢藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代上杉景勝1601〜1623年30万石 
2代上杉定勝1623〜1645年30万石 
3代上杉綱勝1645〜1664年30万石 
4代上杉綱憲1664〜1703年15万石 
5代上杉吉憲1703〜1722年15万石 
6代上杉宗憲1722〜1734年15万石 
7代上杉宗房1734〜1746年15万石 
8代上杉重定1746〜1767年15万石 
9代上杉治憲1767〜1785年15万石 
10代上杉治広1785〜1812年15万石 
11代上杉斉定1812〜1839年15万石 
12代上杉斉憲1839〜1869年18万石 
13代上杉茂憲1869〜1871年14万7千石 

米沢藩
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