上杉重定

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上杉重定(上杉廟)
【 概 略 】−上杉重定は享保5年(1720)、米沢藩(山形県米沢市:15万石)5代藩主上杉吉憲と山中氏の娘との子供として生まれました。延享3年(1746)、7代藩主で兄である上杉宗房が死去すると嗣子が居なかった事から重定が養子となり上杉家の家督と米沢藩8代藩主に就任しています。4代前に15万石に石高が半減して以降、財政が慢性的に悪く重定本人も政治よりも謡曲や乱舞に興味が強く享楽的な生活もその負担となっていました。そのような中、宝暦3年(1753)に幕府の命により東叡山寛永寺中堂普請手伝いを行い、さらに宝暦5年(1755)に領内で大凶作が発生、これにより米沢城の城下で打ち壊しが発生し、宝暦10年(1760)には青苧騒動が起きています。

青苧騒動は米沢藩郡代頭取である森平右衛門が藩の増収を図る為、北条郷で栽培された商人有利な商人苧を藩が管理する役苧として取り立てた事から、北条郷の農民が大規模な一揆を起こしました。代官は役苧にする事を廃案とする旨の願書を受け取りましたが、首謀者や中心的な農民合計19名が遠流及び罰金に処されています。森平右衛門の藩政改革は専制的だった事から他派閥との対立を招き宝暦13年(1763)には竹俣当綱に暗殺されています。

その後、森平右衛門の派閥は一掃され竹俣当綱が藩政を掌握しましたが、当綱も決定的な改善策を持ち合わせていた訳では無く、宝暦14年(1764)には幕府に藩士と領地を返上したい旨を尾張藩に相談し諫められています。明和4年(1767)に隠居、寛政10年(1798)死去、享年79歳、戒名:東岳院殿法印大僧都寛心、廟所は上杉家廟所に設けられています。

上杉重定は社寺の保護も行い、宝暦5年(1755)には安久津八幡神社(山形県高畠町)の本殿を再建、宝暦9年(1759)には赤湯温泉の守護神として赤湯稲荷大明神を勧請し赤湯稲荷神社を創建、天明8年(1788)に大病を患うと桑山観音堂(普門寺)で病気平癒の祈祷が行われ、念願成就すると自ら参拝に訪れています。

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