堀田正虎

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堀田正虎(唐松観音堂)
【 概 略 】−堀田正虎は寛文2年(1662)、堀田正俊と稲葉正則の娘との子供として生まれました。延宝9年(1681)に中奥詰の御小姓、天和2年(1682)に五位下、伊豆守に叙任するなど順調に出世しています。貞享元年(1684)に正俊が暗殺され死去すると、双子の兄である堀田正仲が家督を継ぎ、正虎は2万石が分知され大宮藩を立藩しています。元禄7年(1694)、福島藩10万石の藩主となっていた正仲が死去すると嫡子が居なかった事から正虎が養子となり堀田家の家督を継ぎ福島藩の藩主に就任、一方、大宮藩は廃藩となっています。

元禄13年(1700)、山形藩に移封、宝永7年(1710)に従四位下、享保13年(1728)に大坂城代に就任しています。享保2年(1717)に嫡男である八十郎が死去すると山形城の城下町に境内を構えている長源寺(山形市七日町)に埋葬され墓碑が建立されています。享保8年(1723)に長瀞地方で一揆が発生し、幕府の命礼により山形藩は800名余の家臣を派遣し鎮圧しています。享保14年(1729)死去、享年68歳、戒名:慈徳院殿瑞山紹運大居士。

堀田正虎の山形藩での実績は安養寺を領内の菩提寺として庇護に本堂の修復を行っています(開山堂には正虎の位牌安置)。宝永3年(1706)には唐松観音堂(山形市大字釈迦堂)を再建、正徳4年(1714)には八幡神社(山形市蔵王成沢)の社殿を再建、法祥寺(山形市七日町)観音堂の造営と観音像(子育て観音)の寄進、千歳山大日堂(平泉寺)を再建、享保年間(1716〜1735年)には帰依した明善寺を天童市山口地内から居城である山形城の城下町に寺地を寄進し境内を遷しています。

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