上杉綱勝

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上杉綱勝(上杉廟)
【 概 略 】−上杉綱勝は寛永15年(1639)、米沢藩2代藩主上杉定勝と生善院(近衛家家司斉藤本盛の娘)との子供として生まれました。正保2年(1645)、定勝の死去に伴い上杉家の家督を継ぎ、米沢藩3代藩主に就任しています。上杉家は初代景勝が120万石から30万石に減封されたものの家臣の数を減らさなかった事から財政が慢性的に悪く、慶安2年(1649)に幕府から命じられた江戸城石垣普請によりさらに酷くなっています。綱勝は貢租制度の整備や青苧検地の実施、納方新帳の編成などの改革を行い財政安定に尽力しています。一方、領内でキリシタンの弾圧を実施した為、承応2年(1654)に家臣である山浦光則が断罪されています(光則は米沢城(山形県米沢市)の城下に境内を構えている極楽寺で斬首、妻と女児は免罪、男児2人は出家)。寛文4年(1664)死去、享年26歳、廟所は上杉家廟所に設けられています。

上杉綱勝は社寺の保護を行い、万治元年(1647)には遠山観音(西明寺)で正室である媛姫(保科正之の長女)の大病平癒を祈願を行い虎の尾樅を植樹、その後、万治3年(1660)に薬師堂を再建しています。万治元年(1658)に媛姫が実母(於万の方)から誤って毒殺されると林泉寺(山形県米沢市)に葬り墓碑を建立、承応2年(1653)と明暦3年(1657)、万治2年(1659)には赤湯温泉(山形県南陽市)の御殿湯で湯治、寛文4年(1664)には成島八幡神社の本殿を造営、愛宕神社の社殿を改修しています。

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