米沢市: 林泉寺

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概要・歴史・観光・見所
林泉寺(米沢市)概要: 春日山林泉寺の創建は明応5年(1496)に越後守護代長尾能景が父親である長尾重景の菩提を弔うため曇英慧應大和尚を召還して開山したのが始まりとされています。寺号は重景の戒名「林泉寺殿実渓正真」に因むもので以後、長尾家代々の菩提寺として庇護され、上杉謙信が7歳の時、林泉寺に預けられ住職である天室光育から教育された事は有名で剃髪や謙信の名も林泉寺から授けられています。ただし、謙信が青年になると真言宗に帰依した為、天正6年(1578)に謙信が死去すると真言宗の大乗寺の住職長海が取仕切り、菩提が葬られた御堂も大乗寺や法音寺など真言宗の寺院により勤仕されました。謙信の後を継いだ景勝も真言宗を信仰していた為、慶長3年(1598)に居城を春日山城(新潟県上越市)から鶴ヶ城(会津若松市)へ移封した際や、慶長6年(1601)に米沢城に移封した際は林泉寺は随行していませんでした。

林泉寺が現在地に移ってきたのは元和3年(1617)萬安大悦大和尚の代で、これは、上杉謙信の実姉で景勝の生母でもある仙桃院が大きく影響し、彼女が米沢林泉寺の中興開基者であり、以後、上杉家の正室や子女などが葬れるようになっています。一方、春日山城の麓にあった林泉寺は一時衰微しましたが高田藩主の菩提寺として再興されています。慶長3年(1598)に米沢が上杉領になった当初は執政である直江兼続が米沢城の城主だった関係で、当初米沢藩の曹洞宗の僧録所は直江家の菩提寺である徳昌寺でしたが、元和5年(1619)に兼続、寛永14年(1637)に妻である船が死去すると、林泉寺と反直江家の家臣達が画策し徳昌寺を廃寺に追い込み、さらに兼続と船の墓碑と位牌を強引に移し、供養をしない時代が200年も続きました。9代藩主上杉鷹山はこの事に疑問を呈し兼続の100回忌法要を執り行った事で蟠りも消え、以後、供養されるようになっています。

現在の林泉寺本堂は享保17年(1732)に火災で焼失後再建された古建築物で、境内には上杉家一族だけでなく直江山城守兼続夫妻やで景勝正室の菊姫(武田信玄の娘)、米沢藩重臣の墓碑があります。又、林泉寺庭園法泉寺庭園、旧上杉伯爵邸庭園と共に米沢三名園の1つに数えられています。宗派:曹洞宗。

林泉寺:写真

林泉寺
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境内
境内
本堂
本堂
上杉家廟所
上杉家廟所
上杉家廟所
上杉家廟所
武田信清墓所
武田信清墓所
直江兼続墓所
直江兼続墓所
庭園
庭園
禅定石
禅定石

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