米沢市: 法音寺

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概要・歴史・観光・見所

法音寺(米沢市)概要: 八海山法音寺は山形県米沢市御廟1丁目に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。法音寺法音寺の創建は天平9年(737)、聖武天皇の勅命により藤原政照の菩提を弔う為に行基菩薩により開かれたのが始まりとされます。寺号は政照の法名「都性院殿正二位政照法音大居士」に因むもので当初は法相宗の寺院として当初は八海山の麓である現在の新潟県南魚沼市六日町に境内を構えていました。その後、真言宗に改宗し越後国分寺を兼務するようになり建久8年(1197)には初代鎌倉幕府将軍源頼朝の祈願寺として庇護され寺運も隆盛しています。長尾家、上杉家は曹洞宗の林泉寺を菩提寺としていましたが、上杉謙信は真言密教に深く帰依していたことで真言宗だった法音寺は庇護となり天正年間(1573〜1593年)には春日山に移り、謙信の死後は同じ真言宗の大乗寺の住職が葬儀を執り行いました。

法音寺は跡を継いだ上杉景勝の移封に伴い慶長3年(1598)に会津黒川城(福島県会津若松市)の城下、慶長6年(1601)に米沢城二の丸と移り歴代米沢藩主の菩提寺となりました。

米沢城の二の丸には法音寺の他、能化衆と呼ばれる延寿寺、蔵王堂、大聖院、金剛院、妙観院、長福寺、教王院、大乗寺、安養院、宝蔵寺が配置され、その後は御堂衆と呼ばれる東光院、浄福院、円明院、蓮蔵院、善性院、弥勒院、正福院、法性院、万秀院が配され、これら真言宗の寺院が交代で謙信の菩提を弔い法音寺はこれらの寺院の筆頭で、領内の真言宗寺院を統括する立場となりました。

案内板によると「天文22年(1554)の第一回川中島合戦のおり、信濃善光寺大御堂の如来三尊、汁器等は越後へ移り、謙信は春日山城下に御堂を建てて安置した。のち上杉氏の移封に伴い慶長年間、本尊、汁器は謙信の遺骸と共米沢城本丸の御堂に奉安された。法音寺は明治初期、旧二の丸から此地に移管され、本尊、汁器は昭和初年に上杉家から同寺に寄贈された。三国伝来の由緒深い秘佛として知られる。 米沢市」 とあります。

現在の建物は寛保2年(1742)に再建された古建築で、内部には上杉家位牌壇や毘沙門天像、善光寺如来、菅谷不動尊などが安置され寺宝にも上杉家縁の品を数多く所有しています。隣地には上杉家廟所があり大名の霊廟としての静寂さがり雰囲気を伝えてくれます。山号:八海山。宗派:真言宗豊山派。本尊:大日如来。

法音寺の文化財
・ 金銅舎利塔(1基)−山形県指定文化財
・ 金銅五鈷鈴(2口)−貞応3年、仁治2年−山形県指定文化財
・ 金銅五鈷杵(1柄)−山形県指定文化財

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-法音寺 寺務所
・ 現地案内板-米沢市

法音寺:写真

法音寺
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