米沢市: 堂森善光寺

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概要・歴史・観光・見所

堂森善光寺(米沢市)概要: 松心山善光寺は山形県米沢市万世町堂森山下に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。善光寺の創建は宝暦13年(1763)と明治26年(1893)の火災で記録等が焼失した為、不詳ですが伝承によると善光寺阿弥陀堂の別当として大同2年(807)に開山されたとされます。

その後、建久3年(1192)に長田庄司忠次の妹益王姫が中興、中世に入ると地頭職にあたる長井氏が庇護し、寺宝である大江時広夫妻座像が長井氏との関係を裏付けています。往時は寺運も隆盛していたようで、山寺立石寺には延文2年(1357)に当時の住職である聖仁光が尽力した写経が奉納されています。

現在の堂森善光寺阿弥陀堂は寛延3年(1750)に建立された古建築で、入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行3間、梁間2間、正面3間軒唐破風向拝付、内部には「見返り阿弥陀如来」との異名を持つ本尊阿弥陀如来立像が安置されています。

伝承によると長田庄司忠次が源頼朝に敗れると、妹である益王姫は長田家の守護神である阿弥陀如来像を守る為、像担いで出羽国まで逃れたものの、遂に頼朝軍に追いつかれました。姫は死を覚悟しましたが、阿弥陀如来像が急に後ろ振り返り敵軍を睨み付けると、兵は皆卒倒した事から姫は無事に危機を脱する事が出来ました。

姫は堂森に辿り着くと尼となり草庵を設けて後ろを向いたままの阿弥陀如来像を安置すると、その故事を聞いた人々は「見返り阿弥陀如来」として信仰の対象となり、当地域の阿弥陀信仰の拠点になったと伝えられています。

堂森善光寺本堂は明治28年(1895)に再建されたもので寄棟、銅板葺、平入、桁行7間、正面切妻向拝付、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、正面花頭窓付。

又、堂森は前田利家の甥で天下のかぶきものと称された前田慶次の別邸「無苦庵」があった事に因み境内には前田慶次の供養塔が建立されています。その他の寺宝に善光寺(長野県長野市)の本尊を模した善光寺三尊像(室町時代作・中尊:阿弥陀如来像、像高41.5cm・脇侍:観音菩薩像、勢至菩薩像、像高31.5cm)があります。宗派:真言宗豊山派。本尊:善光寺三尊。別称:出羽善光寺。

堂森善光寺の文化財
・ 木造阿弥陀如来立像−鎌倉−檜材,一木造,像高50.8p−山形県指定文化財
・ 木造伝長井時広夫妻坐像−室町時代−欅材,一木造,彩色−山形県指定文化財

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-米沢市
・ 現地案内板-山形県教育委員会・米沢市教育委員会

堂森善光寺:写真

出羽善光寺
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