塩野毘沙門堂(米沢市)概要: 塩野毘沙門堂の創建は大同4年(809)に徳一上人(奈良時代から平安時代初期の名僧、特に奥州会津地方に仏教を広めた)が巡錫で当地を訪れると、滾々と霊泉が湧き出る霊地と悟り、自ら毘沙門天を彫刻し祀ったのが始まりとされます。
歴代領主に崇敬され承和3年(836)に当時の出羽郡司小野良実が飛騨の匠を召還して堂宇を造営、長享2年(1488)に火災により堂宇が焼失すると延徳2年(1490)に伊達尚宗(伊達家13代当主)が再建しています。
江戸時代に入ると米沢藩(藩庁・米沢城)の藩主上杉家の崇敬社となり寺領は50石安堵され、元禄11年(1698)に4代藩主上杉綱紀、嘉永3年(1850)に12代藩主上杉斉憲が堂宇の改修を行い享保18年(1733)には6代藩主上杉宗憲が仁王門を造営しています。
火事が多かった事から須弥壇の下には井戸が掘られ、境内には弁天池、や「霊泉毘龍水」と呼ばれる名水も湧き出ている事から風致に富み、元禄8年(1695)に選定された米陽八景に「宮井夜雨」として描かれています。
現在の塩野毘沙門堂の建物は延徳2年(1490)に建てられた古建築物を元に改修されたもので七間四方、入母屋、金属板葺き、1間向拝、境内には入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚単層の仁王門が配されています。
例祭は毎年8月17・18日で神輿渡行が行われます(塩野毘沙門堂は現在は仏教の施設ですが、往時は神仏習合していた為、通常神社の神事である神輿渡行が継承されていると思われます)。本尊:福徳毘沙門天王。
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