米沢市: 東源寺

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概要・歴史・観光・見所
東源寺(米沢市)概要: 萬用山東源寺の創建は文明8年(1476)、覚永和尚により開かれたのが始まりとされます。当初は信州水内郡泉郷(現在の長野県飯山市)にあり尾崎氏(鎌倉幕府御家人泉親衡の後裔である泉氏の一族)の菩提寺の1つとして庇護され寺運も隆盛しました。戦国時代に入ると尾崎氏は泉氏の没落もあり上杉家に従属するようになり泉(尾崎)弥七郎重蔵の娘(蘭子)が上田上杉家家臣である樋口惣右衛門兼豊に嫁ぐなど関係を深め有力家臣になっています。

兼豊と蘭子との子供が上杉家執政を司った直江兼続とされ、元和5年(1619)に兼続、寛永14年(1637)に妻である船が死去すると菩提寺だった徳昌寺が庇護者を失い(直江家には跡継ぎがいなかった)衰微し、変わって上杉家と関係が深かった林泉寺が台頭した為、徳昌寺は廃寺に追い込まれ堂宇も徹底的に破却され兼続夫妻の墓碑や位牌も取り上げられ供養もされませんでした(徳昌寺は直江家の旧領である現在の新潟県長岡市与板で再び創建し、直江家の位牌を祀っています)。そこで、兼続直属の家臣達が兼続の母方の菩提寺である東源寺を正保2年(1645)に米沢城の城下に招き、改めて夫妻と長男景明の位牌を作らせ命日には法要が執り行われるようになり現在でも続けられているそうです。直江兼続は現在でこそ名将、名軍師と誉れ高い武将ですが、結果的に会津120万石の大藩から30万石の小藩へ没落させた張本人として反対派が多く兼続夫妻が死去した事で事実上の罪人として扱われ没後100年後にようやく院殿の付いた戒名「英貔院殿達三全智居士」が与えられ、さらに没後150年に米沢藩による法要が行われています。

寺宝である五百羅漢像は東源寺27世の宗岳和尚が天明の大飢饉、天保の大飢饉の被害者の冥福を祈るため天保の末頃から文久3年(1863)まで約20年間にわたり米沢北寺町出身の仏師遠藤亀次が製作したもので28世祖岳和尚の代でようやく完成しています。五百羅漢像の製作には様々な身分に広く浄財を募った為、像の前には寄付をした人物の名前が記された木札が掲げられています。

東源寺:写真

東源寺
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