米沢市: 常慶院

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概要・歴史・観光・見所
常慶院(米沢市)概要: 金華山常慶院の創建は応永5年(1398)、当時の信濃国志久見郷(長野県下高井郡北部)の領主市川氏(市河氏)によって開かれたのが始まりとされます。市川氏は鎌倉時代に地頭職として志久見郷に配され国人領主として一定の勢力を維持し常慶院は市川家の菩提寺として領内の中心的な寺院となり末寺9ヵ寺を擁する大寺院となり奥信越第一の名刹とも呼ばれました。戦国時代後期に市川氏は越後の上杉家に従属し、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津黒川城120万石で移封になると会津に、慶長6年(1601)に景勝が米沢城30万石で移封になると米沢に随行し、常慶院もその都度創建されました(現在でも長野県下水内郡栄村には常慶院が存在しています)。

米沢では市川氏の他に同じ上杉家家臣の竹俣氏の菩提寺にもなり境内には両家の墓碑が建立されています。中でも米沢藩9代藩主上杉鷹山の藩政改革を補佐した竹俣当綱の墓は異彩で墓碑銘は、細井平洲(江戸時代の儒学者、上杉鷹山の師)の撰により建立されています。その他には八幡大神、三界万霊搭、文殊菩薩、地蔵菩薩、駿馬の碑、埋剣の碑、永代供養墓常慶観音、吉田一夢(剣術家、一刀流の達人、細井平洲暗殺未遂)の墓碑などが建立され、寺宝として長尾政景・仙洞院夫妻御像、文福茶釜などを所有しています。

伝承によると文福茶釜は南原の糠山に棲んでいた狐が弥八郎という人間に化けて常慶院第9世本悦和尚に授けたと伝えられています。弥八郎は本社である京都伏見稲荷大社に用が出来、京に登る事になり、弥八郎家に伝わる秘伝書を本悦和尚に預け、決して他人には渡さないようにと託して姿を消しました。すると、魑魅魍魎が秘伝書を求めて常慶院に襲来し様々な手を使い強奪しようと試みましたが、本悦和尚の機転の良さで何とか守りきりました。弥八郎が京都から帰ってくると、和尚に感謝し、御礼として文福茶釜を渡し、さらに、秘伝書に書かれた秘術の内の1つで釈迦如来を降臨させる事を約束しました。ただし、この釈迦如来は本物では無く幻術なので、手を合わせて御経を唱えると私が死んでしんでしまうので、決して御経を唱えないでくださいと強く約束させました。弥八郎は秘術を行うと今まで見た事の無い綺麗な虹が架かり、神々しい姿の釈迦如来が現れ、こちを向き優しく微笑んだ為、和尚は思わず手を合わせて御経を唱えてしまいます。すると、辺りが急に暗くなり大きな狐の声と共に現実に引き戻され、文福茶釜だけが残され、以後、一度も弥八郎の姿を見た人はいなかったと伝えられています。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

常慶院:写真

常慶院
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常慶院 常慶院 常慶院 常慶院
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