米沢市: 川井観音(桃源院)

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概要・歴史・観光・見所
川井観音(桃源院)概要: 和光山桃源院の創建は天文13年(1544)、左月斎良直(茂庭・鬼庭良直)が一華宗甫大和尚(松林寺三世)を召還し開山したのが始まりとされます。左月斎良直は伊達晴宗、輝宗、政宗の3代に仕えた伊達家の重臣で当初は陸奥国伊達郡茂庭村(現在の福島市飯坂町)に住していましたが、伊達輝宗の命により出羽国置賜郡長井郷米沢川井村に移る事となり、日頃から信仰していた観音堂も当地に移し桃源院を開きました。観音堂の創建は鬼庭(茂庭)家の始祖とされる斎藤実良が野那須に住していた時代に周辺住民に悪事を働いた大蛇を征伐する事になり、人身御供として家臣紺野図書の妹(さる姫)を差し出しました。その際、母から授かった観音像の霊力により見事大蛇を討ち果たしさる姫も無事だった事から、さる姫は茂庭村地蔵岩に観音像を祀る観音堂を創建し尼となり生涯守ったと伝えられています。桃源院は鬼庭(茂庭)家の縁の寺院として庇護され、茂庭良元の代の慶長8年(1603)に松山城(陸奥国志田郡松山:宮城県大崎市松山町)が与えられると慶長10年(1605)に桃源院を城下に移し、当地の桃源院はその後住民達の手によって再興されました。

現在の桃源院観音堂は弘化2年(1845)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、向拝木鼻には獅子と象、欄間に龍の精緻な彫刻が施されています。本尊の聖観世音菩薩は、伝承によると羽黒川を遡る1本の霊木があった為、拾い上げ3躯の仏像を彫刻すると笹野と関根、川井に安置したとされ川井の観音像は根元の部材から彫刻された事から「根木観音」との別称があります(元々は羽黒山に安置されていましたが神仏分離令により当寺に移されたとも)。又、根木=ネギ=風邪を治す事に因み風邪予防に御利益があるとして信仰されています。

桃源院境内の芭蕉句碑は安政6年(1859)に建立されたもので、松尾芭蕉が貞享5年(1688)「笈の小文」で詠んだ「しばらくは花の上なる月夜かな」の句が刻まれています。本堂には左月斎良直(法名:自光院殿剣外参心大居士)の位牌が安置され現在でも報恩供養が続けられています。置賜三十三観音霊場第23番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:御詠歌:ごくらくの はしよりみれば はなのもり きぬぎぬやまは のどかなるらん)。宗派:曹洞宗。

川井観音:写真

川井観音(桃源院)
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