赤湯温泉・歴史:概要 赤湯温泉(山形県南陽市)の開湯には諸説あり寛治7年(1093)、陸奥守となった源義綱(八幡太郎義家の弟)が発見し傷ついた家臣を癒したとも、正和元年(1312)、弘法大師の御告げにより米与惣右衛門が開かれたのが始まりとも云われています。江戸時代に入ると温泉街には米沢藩主上杉家の御殿湯が設けられ、藩公認の遊興の場所として発展、寛永11年(1634)には2代藩主上杉定勝、承応2年(1653)と明暦3年(1657)、万治2年(1659)には3代藩主上杉綱勝、万治元年(1658)には山形藩主松平忠弘が赤湯温泉を利用し、宝暦9年(1759)には米沢藩8代藩主上杉重定が赤湯稲荷神社を創建しています。
特に9代藩主上杉鷹山(上杉治憲)は赤湯温泉の開発に尽力し23度の来訪があり画家に命じて丹泉八勝(赤湯八景)を描かせています。さらに上山城下と米沢城下を結ぶ米沢街道の宿場町として多くの旅人や商工業者などからも利用され江戸時代後期に繁栄した出羽三山詣での参拝者が数多く湯治を楽しみました。赤湯温泉の名称の由来は義綱の家臣が温泉に入った際、傷から大量の血が流れ出し真っ赤になったとも、東正寺の仏前や僧侶に供養する為に捧げられた閼伽(あか)とも云われています。江戸時時代後期に製作された諸国温泉功能鑑(温泉番付)では「米澤赤湯の湯」として東之方前頭に格付けされ、当時から広く知られていました。
赤湯温泉の泉質: 含硫黄−ナトリウム・カルシウム−塩化物泉、泉温63℃
赤湯温泉の効能: 神経痛、筋肉痛、関節痛、慢性婦人病、きりきず、慢性消火器病、痔症、病後回復期、疲労回復、慢性皮膚病、糖尿病、関節のこわばり、うちみ、くじき、やけど、虚弱児童、五十肩、運動麻痺、冷え性、健康増進など
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