南陽市(歴史)概要: 南陽市は山形県内でも早くから開けていた地域として知られ蒲生田山古墳群(南陽市上野)には4世紀に造られたと推定される古墳も発見されています。稲荷森古墳(南陽市長岡)は山形県最大級とされ東北の中でも6番目の大きさとされます。
鎌倉時代の置賜地方は御家人だった大江氏が長井氏を名乗って統治しますが時代が下がるにつれ伊達氏の影響力が強まっていきます。戦国時代に入り伊達氏が米沢城を居城とすると南陽市一帯も支配下に置かれ、最上領に接している事から軍事的に重要視されます。
南陽市には宮沢城を始め二色根館(南陽市指定史跡)、小滝城などが築かれ伊達氏の家臣達が配されます。戦国末期からは上杉領となり宮沢城には尾崎重誉が入り対最上氏に備えます。
江戸時代に入り1国1城令が発せられると宮沢城は廃城となりますが、この地は日本三熊野と称された熊野大社が控え門前町として引き続き重要視されました。
赤湯は湯治としてだけでなく米沢街道の宿場町としても人のや物資の往来があり栄えました。
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