宮崎観音(綱正寺)概要: 日祥山綱正寺は山形県南陽市宮崎に境内を構えている曹洞宗の寺院です。綱正寺の創建は元和2年(1616年)、安部右馬助によって開かれたのが始まりとされます。安部右馬助綱吉は越後安部里出身の土豪で、本庄繁長と戦いで敗れると各地を渡り歩き、その後宮内に土着しました。
慶長3年(1598)に上杉景勝が会津に入封すると宮内城には尾崎重誉が配され、右馬助はその家臣となり、慶長5年(1600)の関が原の戦いでは倉賀野綱元に従軍し長谷堂城攻めに参加、その後、当地区(北条郷)の代官に就任すると宮内の町割や新田開発、鉱山開発、熊野大社の再建等に尽力しました。
正保3年(1646)、享年77歳で死去すると跡を継いだ綱正によって菩提寺である綱正寺に葬られています(寺号から跡を継いだ綱正が開基したとも、綱元が代官就任後改称する前に綱正を称して開基したとも云われています)。観音堂は延宝6年(1678年)に再建されたものでそれ以前の由来等は不詳、本尊の聖観世音菩薩は伝教大師最澄が自ら彫刻したと伝わる秘仏で50年一度の御開帳となっています。
宮崎観音堂は入母屋、鉄板葺、平入、桁行2間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、弁柄色塗り、向拝木鼻には獅子と象、欄間には龍の彫刻が施され、小振りの梵鐘が吊り下げられています。境内には石造の鳥居や様々な石碑、石祠、石仏等が建立され、墓地の奥地に建立された安部右馬助綱吉の墓碑(高さ3.7m)は南陽市指定史跡に指定されています。
綱正寺は明治40年(1907)、大正8年(1919)の火災により焼失し昭和7年(1932)に本堂が再建されています。
置賜三十三観音霊場第28番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:なみのおと みやざきてらの かねのこえ にせあんらくと ひびくなりけり)。山号:日祥山。寺号:綱正寺。宗派:曹洞宗。
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