新山観音(珍蔵寺)概要: 新山観音堂の創建は明和7年(1770)、北条郷漆山村出身で青苧の商人として財を成した多勢吉兵衛が境内から見える景観に心を奪われ一宇を設けたのが始まりとされます(多勢家は戦前まで多くの耕作地を所有し当地域を代表する大地主となっています)。
参道からは当地域が一望出来る事から米沢藩主である上杉の殿様が領内視察をした際にはここで検分をしたと伝えられています。
境内には山門と同様に鳥居や石祠もあり明治以前は神仏習合していた名残が見られます。山門は入母屋、五間一戸の大型のもので、仁王像が安置、巨大の藁の草鞋が左右に奉納され足腰に関係する病などに御利益があるとして信仰の対象となっています。
新山観音堂は入母屋、平入、桁行2間、梁間1間、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造、素木板張、向拝木鼻には獅子と象、欄間には龍と波、妻壁には天女、懸魚のは植物の彫刻が施されています。
又、別当寺院である珍蔵寺は寛元元年(1460)に極堂宗三和尚が開山したと伝わる古寺で民話「鶴の恩返し」の舞台としても知られています。置賜三十三観音霊場第18番札所(札所本尊:聖観世音菩薩(秘仏)・御詠歌:なにごとも おもふこころは まるかれと むかしもいまも ここはにいやま)。宗派:曹洞宗。本尊(珍蔵寺):釈迦如来。
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