山形県の温泉:概要 銀山温泉(山形県尾花沢市)の開湯は寛永年間(1624〜1643年)、延沢銀山の鉱夫が発見したのが始まりとされます。延沢銀山が閉山になった後も銀山温泉は湯治場として続けられ江戸時代の温泉番付である諸国温泉功能鑑にも名を連ねています。大正2年に銀山川が氾濫を起こし多くの湯宿が一斉に建て替えた事から大正から昭和初期にかけての風情ある建物が軒を連ねています。泉質は含食塩硫化水素泉。蔵王温泉(山形県山形市)の開湯は景行天皇40年(110)、吉備多賀由(日本武尊の家臣)の家臣が発見したのが始まりとされます。蔵王が信仰の山として栄えると修験者や信者などからも利用され斯波兼頼や最上義光といった領主からも保護されました。当時は最上高湯温泉と呼ばれ白布高湯、信夫高湯と共に奥州三高湯に数えられ全て温泉で湯治すると寿命が延びると言われました。泉質は含硫化水素強酸性明礬緑礬泉。湯野浜温泉(山形県鶴岡市)の開湯は天喜年間(1053〜1058年)、傷ついた亀が湯浴びをしているのを漁師が発見したのが始まりとされます。古くから名湯として知られ奥羽三楽郷(他に上山温泉・東山温泉)、庄内三大名湯(他に湯野浜温泉・温海温泉)の1つに数えられました。泉質はナトリウム・カルシウム - 塩化物泉。赤湯温泉(山形県南陽市)の開湯は寛治7年(1093)に源義綱が発見したとも、正和元年(1312)に弘法大師の御告げにより米与惣右衛門が発見したとも云われています。江戸時代には米沢藩主上杉家の御殿湯が設けられ歴代藩主が入湯しています。泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物温泉。白布温泉(山形県米沢市)の開湯は正和元年(1312)、佐藤宗純が傷ついた鷹が湯浴びをしているのを発見したのが始まりとされます。伊達輝宗、政宗父子、上杉鷹山が湯治に訪れたとされ信夫高湯、最上高揚と共に奥州三高湯に数えられました。瀬見温泉(山形県最上郡最上町)の開湯は文治3年(1187)、武蔵坊弁慶によって発見されたのが始まりとされます。江戸時代には新庄藩主戸沢家の御殿湯が設けられ「新庄の奥座敷」とも呼ばれました。泉質は含石膏食塩泉。
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