山形市: 唐松観音

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概要・歴史・観光・見所
唐松観音(山形市)概要: 唐松山護国寺の創建は不詳ですが古くから霊場として栄えていたと伝えられています。平安時代後期、宝沢の里で炭焼きを生業とし藤太を称した長者が住んでいました。一方京都では一条殿の姫である豊丸姫の霊夢に清水寺の本尊である観世音菩薩の化身が立ち「出羽に住む藤太を訪ねよ」との御告げがありました。豊丸姫は持仏である1寸8分の観音像と共に当地まで趣き事情を藤太に話すと、藤太も話を受け入れ2人で暮らすようになり吉次、吉内、吉六と3人の子宝に恵まれ益々、家も栄え大富豪となりました。藤太と豊丸姫は観世音菩薩に感謝し永久元年(1113)に持仏の観音像を霊場だった唐松山の岩窟に一宇を設けて安置、霊験が広く知られるようになると何時しか唐松観音と呼ばれるようになり多くの参拝者が訪れるようになりました。その後は歴代山形城城主にも崇敬庇護され室町時代には最上三十三観音霊場第5番札所に選定され益々信仰を広げました。

江戸時代に入ると歴代山形藩主が庇護し、寛文元年(1661)には当時の藩主松平忠弘は由緒となった京都清水寺を模した懸造り(舞台造り)の堂宇を家臣である市川七郎右衛門、日向六郎兵衛、竹下三郎太夫に命じて造営させています。その後も宝永3年(1706)に堀田正虎が再建し、安政2年(1856)には水野忠精が修築するなど庇護されます。現在の唐松観音堂は昭和51年(1976)に再建されたもので懸造りなど往時の姿を踏襲しています。最上三十三観音霊場第5番札所(札所本尊:聖観世音菩薩、伝:弘法大師作・御詠歌:みなかみは いづくなるらん からまつの かぜにおとある やまかわのみづ)。宗派:曹洞宗。

唐松観音:写真

唐松観音
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