宗福院(六椹観音)

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概要・歴史・観光・見所
宗福院・六椹観音(山形市)概要: 六椹山妙法寺宗福院の創建は和銅元年(708)、宗福院・六椹観音行基菩薩により開かれたのが始まりとされ、本尊の聖観世音、勢至両菩薩は行基菩薩により彫刻されたものと伝えられています(両像とも秘仏)。その後一時衰退しましたが貞観2年(860)に慈覚大師円仁により中興され、その際、観音堂の周りに6本の椹を植え一堂六本から七高山妙法寺宗福院に寺号を改めました。さらに、延久3年(1071)源頼義が奥州の争乱平定で、当地を訪れた際、6本の椹を見て「六椹=むつくぬぎ=陸奥苦抜=陸奥の苦しみを抜く」にあやかり戦勝祈願すると見事念願成就に為、神意に感謝して観音堂を造営し山号を六椹山に改めたとされます。山形城初代城主となった斯波兼頼をはじめ歴代最上家が庇護し寺領44石を寄進し庇護を勤めました。

元和8年(1622)に最上家が御家騒動で改易になると幕府が庇護し、引き続き寺領を安堵し5代将軍徳川綱吉は葵の御紋の御簾を奉納し、8代将軍徳川綱吉は高野槙を献木しています。明治時代に入ると寺領を返却し度重なる火災(明治2年・明治10年・明治13年)により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し衰微しましたが、観音堂が奇跡的に焼け残り、付随していた寺宝などを今に伝えられています。現在の宗福院観音堂は享保9年(1724)に再建されたもので、宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、江戸時代中期の寺院御堂建築の遺構として貴重な建物です。

最上三十三観音霊場第8番札所(札所本尊:聖観世音菩薩、伝:行基菩薩作・御詠歌:おもくとも いつつのつみは よもあらじ むつのくぬぎに まゐるみなれば)。山形十三仏霊場第1番札所(札所本尊:十三仏尊・御詠歌:詣で来る 衆多の人の 罪咎を 焼き亡ぼさん 誓い尊し)。山形百八地蔵尊霊場第25番札所。山号:六椹山。宗派:天台宗。本尊:聖観世音菩薩、勢至菩薩。

六椹観音:写真

宗福院・六椹観音
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