国分寺薬師堂(山形城の鬼門鎮)

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概要・歴史・観光・見所
国分寺薬師堂(山形城の鬼門鎮)概要: 国分寺の創建は天平13年(741)、聖武天皇が仏教の力により国家安寧を導く為、各国一宇づつ設けた寺院の1つで行基菩薩が勅命により開山したと伝えられています。国分寺は国府の近くに設けられる例が多く、当時の出羽国の国府は秋田城(出羽柵)に置かれていた事から当初は現在の秋田市周辺に境内を構えていたとも考えられますが、記録上も遺跡などもそのような形跡が見られません。延暦23年(804)に秋田城が停止された事から、庄内地方に出羽国府が移ったと考えられ、国分寺も随行したと思われますが、その場所についても旧東田川郡渡前村、旧飽海郡本楯村、旧最上郡豊里村など諸説あり、酒田市城輪柵跡が出羽国府の有力地である事から酒田、鶴岡付近とも考えられます。記録的には承和13年(846)に安慧(天台宗の高僧)が国分寺に講師として派遣された事が記載され平安時代には寺運が隆盛していた事が窺えます。平安時代末期から鎌倉時代初期に国府が山形市北方の府中に移った記録がある事から国分寺も府中周辺に移り、東根市にある東根国分寺も当初は護国山薬王院国分寺と称していたと伝えられています。現在の別当寺院である柏山寺に伝わる由緒によると、鎮守府将軍大野東人が伽藍を造営し、貞観年間(859〜877年)に慈覚大師が天台宗の寺院として再興、康平6年(1063)には源頼義が堂宇を再建、平安時代末期には藤原秀衡が再興、建久年間(1190〜1198年)には大江広元が堂宇の修築を行うなど華々しい歴史を刻んでいます。

山形城の初代城主斯波兼頼(最上家の祖)が延文5年(1360)に再興しましたが、その後は衰退し、天正2年(1574)に最上義光(最上家11代)が山形城の北東方向にあたる現在地に境内を移し鬼門鎮護の寺院として寺領320石を安堵して庇護します。元和8年(1622)に最上義俊(最上家13代)が御家騒動により改易になると、その後は幕府が庇護し最上家の寄進した同石の320石の朱印状が発給され上野寛永寺の直寺となり、寺運も隆盛し当地方の天台宗の触頭となり末寺23ヵ寺を擁する大寺院となっています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により隣接する柏山寺(天台宗)の管理となり、明治44年(1911)に火災により堂宇が焼失すると旧宝幢寺の本堂を移築して新たな薬師堂となっています。毎年5月8日に行われる例祭「薬師まつり」では全国各地から植木商人が集まり「全国三大植木市」に数えられています。

国分寺薬師堂:写真

国分寺薬師堂
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