山形市: 光明寺

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概要・歴史・観光・見所
光明寺(山形市)概要: 光明寺の創建は永和元年(1375)、最上家の祖となった斯波兼頼が居城である山形城の城内に草庵を設けたのが始まりと伝えられています。伝承によると応安6年(1373)、領内の視察中に漆山の念仏堂に立ち寄ると、たまたま巡錫に訪れていた遊行10代上人元愚大和尚と出会い教化を受け、山形城に上人を招くと城内で出家し其阿覚就と号するようになったと伝えられています。康暦元年(1379)に兼頼が死去すると草庵に葬られ、跡を継いだ2代直家が寺院として整備し、兼頼の戒名「光明寺殿成覚就公大居士」に因み寺号を光明寺と名付けました。以来、歴代最上家から庇護され寺運が隆盛しました。初代山形藩主最上義光の代に山形城が大改修された際、光明寺は山形城の二之丸大手門前に広大な境内を得て移され、文禄3年(1594)には寺領1760石が安堵され領内最大級の格式を得て禁制も発布されました。元和8年(1622)に3代藩主最上義俊が御家騒動により改易になると、同年、新たに山形藩(24万石)に入封した鳥居忠政が山形城の正面に最上家の菩提寺がある事を嫌い現在地に移されました。その後は幕府から寺領が追認され明治維新まで将軍家名義での朱印状を賜っています。

光明寺には最上家縁の品々を多数所有し、本堂には斯波兼頼の木像が安置され境内には斯波兼頼の墓碑が建立されています。寺宝である「紙本著色遊行上人絵」は最上義光が狩野宗秀に描かせ寄進したもので平成2年(1990)に国指定重要文化財に指定されています(「紙本著色遊行上人絵」は文禄3年に義光が光明寺に寄進しましたが、その後、一端最上家に帰され、寛永8年に改めて3代藩主最上義俊が寄進しています)。絹本著色斯波兼頼画像は平成15年(2003)に山形市指定有形文化財に指定されています。彩箋墨書最上義光等連歌巻「賦春何連歌」は平成15年(2003)に山形市指定有形文化財に指定されています。宗派:時宗。

光明寺:写真

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