勝因寺(山形市)概要: 高寶山勝因寺は山形県山形市鉄砲町1丁目に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。勝因寺の創建は鎌倉時代の弘安年間(1278〜1287年)に大江和尚により開かれたのが始まりとされます。
最上家の祖となった斯波兼頼が山形に入封し延文2年(1357)に山形城を築くと勝因寺の境内は山形城の三之丸に位置しました。
室町幕府11代将軍足利義澄(在任:明応3年:1495年〜永正5年:1508年)の命により十刹(寺院の格付で五山に次ぐ格式、当初は10ヵ寺でしたが次第に増加しました。東北地方では勝因寺の他に会津実相寺、陸奥興聖寺、崇禅寺、円福寺(松島瑞巌寺)、会津興徳寺、出羽光明寺)に選定されました。
元和8年(1622)、最上家が御家騒動の為改易となり、新たに山形藩主に就任した鳥居忠政は山形城の改修と城下町の整備を行った事で、現在地に移されました。当初は臨済宗鎌倉建長寺派でしたが、寛文5年(1665)に当時の住職海門和尚により臨済宗妙心寺派に転派しています。
現在の勝因寺本堂は元禄13年(1700)に建立されたもので寄棟、銅板葺、平入、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、花頭窓付、内部の内陣には本尊となる釈迦如来像が安置されています。
勝因寺山門は江戸時代中期の明和4年(1767)に建立したもので三間一戸、入母屋、金属板葺、八脚楼門、桁行3間、梁間1間、下層部両脇には文化4年(1807)彫刻の仁王像、上層部には十六羅漢像が安置されています。
山形三十三観音霊場第3番札所。山号:高寶山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
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