旧松応寺観音堂(山形市)概要: 金峰山松尾院の創建は和銅元年(708)に行基菩薩(奈良時代の高僧)がここを訪れた際、聖観世音菩薩、勢至菩薩、無量寿仏の3仏を彫り込んで安置した事が始まりとされています。行基は霊夢により桂の大木に三仏が重なるのを見て仏像を彫ったと、松の木の下で話た事から松尾山松応寺と称するようになったそうです。
その後一時荒廃しましたが、中世に入って斯波兼頼(最上家の祖)が山形城の城主になると中興し社領を寄進するなど庇護します(詳細は判りませんが、名称に「旧」が付いている事から松応寺は廃寺となり、観音堂が事実上の本堂として信仰されるようになったと思われます)。
松応寺観音堂は工法や天正年間(1573〜1593年)、慶長年間(1596〜1615年)の落書きがある事から室町時代後期に建てられたと推定される建物で宝形造、茅葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、素木板張、内部は中央1間分が内陣で本尊が安置され、周囲1間分が外陣となっています。
松応寺観音堂は室町時代末期の御堂建築で当時の技術や地方建築の特徴を伝える大変貴重な建物である事から昭和61年(1986)に国指定重要文化財に指定されています。
行基菩薩が彫刻したと伝わる3躯の内、応永年間(1394〜1427年)に盗賊により無量寿仏が盗まれましたが他の2体(十一面観音立像・弥勒菩薩立像:平安時代作、像高3m以上、一木造)が残り、昭和48年(1973)に山形県指定有形文化財に指定されています。
最上三十三観音霊場第9番札所(松尾山観音・札所本尊:聖観世音菩薩、伝:行基菩薩作・御詠歌:このかみは いくよへぬらん たよりおば ちとせをここに まつのをのやま)。宗派:天台宗。本尊:聖観世音菩薩。
金峰山松尾院の文化財
・ 旧松応寺観音堂-室町末期-宝形造,茅葺,三間四方−国指定重要文化財
・ 木造十一面観音立像-平安時代-像高3.26m,一木造-山形県指定文化財
・ 木造菩薩形立像(伝勢至菩薩)-平安-像高3.03m,一木造-県指定文化財
・ 木造天部立像-平安末期-カツラ材,一木造,黒漆塗-山形市指定文化財
・ 木造男神像-平安時代-像高159cm-山形市指定有形文化財
・ 松尾山のヒガンザクラ-山形市指定天然記念物
・ 松尾山のカツラ-山形市指定天然記念物
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山形県教育委員会・山形市教育委員会
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