山形市: 法祥寺

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概要・歴史・観光・見所
法祥寺(山形市)概要: 瑞雲山法祥寺の創建は応永20年(1413)、法祥寺(山形市)山形城の城主で最上3代宗家、最上満直により開かれたのが始まりとされます。応永23年(1416)、又は応永31年(1424)に満直が死去すると法祥寺に葬られ、戒名「法祥寺殿念叟親公大居士」が送られています。以来、歴代最上家に庇護され寺運が隆盛し、隣地には正室(会津領主芦名盛政の娘、戒名:建昌寺殿信宗心公大姉)の菩提寺である建昌寺が明応3年(1494)に当時の住職竹用松大和尚により開山しています。江戸時代初期に山形城の拡張の為現在地に移され、その際、城主最上義光により伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区)の分霊が勧請され当寺の鎮守社で当地の守護神として幸稲荷神社が創建されています。元和8年(1622)、山形藩3代藩主最上義俊は御家騒動の為、改易となり、後に近江国蒲生郡1万石で配されましたが寛永8年(1631)に失意のまま江戸藩邸で死去、享年27歳。翌年となる寛永9年(1632)には寒河江出身の者が最上家縁の法祥寺境内に義俊の供養塔(五輪塔)を寄進しています。その後も歴代山形藩主に庇護され、特に堀田正虎が篤く帰依し、観音堂の造営と、聖徳太子が崇峻天皇16歳の時の御姿を彫刻したと伝える観音像(子育て観音)を寄進しています。山形三十三観音霊場第21番札所(札所本尊:子育て観音、伝:聖徳太子作・御詠歌:かのくにの はなをうつして ほうしょうじ たまとみえても さくさくらかな)。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

法祥寺:写真

法祥寺
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