山形市: 圓應寺

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概要・歴史・観光・見所
圓應寺(山形市)概要: 大慈山圓應寺の創建は延文元年(1356)、初代山形城の城主、斯波兼頼(最上家の祖)が山形城を築いた際、城の鬼門封じの為、北東(鬼門)の方角に仮堂を設け弘法大師空海が自ら彫刻したと伝わる観音像(一丈二尺:約7cm、黄金仏、斯波兼頼の兜の前立てだったとされます。)を安置したのが始まりと伝えられています(この故事から「仮屋観音」の異名が付きました)。以来、歴代最上家から庇護され、寺領の安堵や堂宇の造営、寺宝の寄進などが行われ寺運も隆盛しましたが、山形藩3代藩主最上義俊の代の火災によりそれらを焼失し、さらに元和8年(1622)、義俊が御家騒動により改易になると庇護者を失い衰微します。貞享3年(1686)存了律師が真言宗の寺院として再興し、元禄年間(1688〜1704)には光有律師が観音堂を再建、享保年間(1717〜1735年)には比丘光厳の彫刻により木造大観音坐像が完成し、本尊は胎内仏として収められました(この故事から「腹ごもり観音」の異名が付き、「良縁成就」「子宝安産」に御利益があるとされます)。

圓應寺境内にある「延文二年板碑」は「延文二天丁酉八月三日」の銘が刻まれたもので、高さ71.2cm、上部幅32cm、下部幅50cm、厚さ約30cm、安山岩製、延文2年(1357)は斯波兼頼が圓應寺を創建した翌年にあたり、歴史的な意義と、北朝方の年号から当時の山形地方が北朝方に属していた証明にもなる歴史的資料としても価値が高い事から昭和34年(1959)に山形県指定文化財(歴史資料)に指定されています。最上三十三観音第4番札所(札所本尊:聖観世音菩薩、伝:弘法大師作・御詠歌:おしなべて ほとけにむすぶ ゑんのうじ たかきいやしき たのまぬはなし)。山形三十三観音霊場第33番札所(打ち止め)山形・村山四十八地蔵尊霊場第4番札所。宗派:真言宗智山派。本尊:地蔵菩薩。

圓應寺:写真

圓應寺
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