上杉神社(米沢城)概要: 上杉神社は山形県米沢市丸の内1丁目に鎮座している神社です。上杉神社の創建は明治9年(1876)に米沢城本丸跡に社殿を建立した事から始まります。
祭神である上杉謙信は天正6年(1578)に春日山城(新潟県上越市)で急逝すると、遺骸は城内に葬られ不識庵として篤く祭られていましたが、慶長3年(1598)に跡継いだ上杉景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になると不識庵も黒川城内に移され、慶長6年(1601)に米沢城に移封になると同じく不識庵も城内に移されました。
江戸時代は祭神である上杉謙信の遺骸を中心に左に善光寺如来尊、右に毘沙門天を安置し真言宗の寺院による仏式で祀られ廟堂と称していましたが、明治初頭に発令された神仏分離令により、遺骸が上杉家御霊屋に再葬され、御霊は上杉神社の神号が許されました。
その際、別当寺院の主席だった法音寺が墓守として上杉家御霊屋の隣地に境内を移し、次席だった大乗寺が還俗して神官となり宮司職を担いました。
上杉神社創建当初は謙信公と鷹山公の2柱を祀り県社に列していましたが、明治35年(1902)に別格官幣社に昇格すると松岬神社を摂社として建立し鷹山公を祀る事で上杉神社は謙信公の1柱となりました。大正8年(1919)に米沢大火によって類焼し社殿は全焼しましたが、大正12年(1923)に再建しています。
社殿の再建には米沢市出身で東京帝国大学工学部教授の伊東忠太が設計し総工費46万2,550円余りというの莫大の費用が掛けられました。平成10年(1998)に上杉神社稽照殿が国登録有形文化財に指定されています。
上杉神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、正面3間向拝付、外壁は真壁造り板張り。本殿は三間社流造、銅板葺、外壁は真壁造り板張り。神門は向唐門、銅板葺、一間一戸、薬医門。
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