観音寺(亀ヶ崎十一面観音堂)概要: 慶光山観音寺は山形県酒田市亀ケ崎2丁目に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。観音寺の創建は慶長6年(1601)、長谷堂城(山形市)を上杉軍から死守した志村光安がその功により亀ヶ崎城(東禅寺城)3万石が与えられ当地に赴任してきた際、十一面観世音菩薩を勧請し姿雄律師を招いて祭祀を司ったのが始まりと伝えられています。
十一面観世音菩薩は道元禅師(曹洞宗の開祖)が中国唐より帰国する船上で暴風となり遭難しそうになった際、観音菩薩が出現し禅師を助けてくれたとされ、禅師は帰国後にその観音菩薩の御姿を模して彫り込んだ像と伝えられています。
その後、豊臣秀吉の手に渡り、最上義光が秀吉から賜り、志村光安が義光から与えられ、志村家の守り本尊になったそうです。
当初は亀ヶ崎城の二之丸北隅に小堂を設け安置していましたが慶長19年(1614)に庇護者である2代志村光惟が暗殺され、さらに元和8年(1622)、志村家の主家である最上家が御家騒動により改易になると観音寺も衰退を余儀なくされました。
宝永5年(1708)に現在地に境内を遷し再興され、十一面観世音菩薩が鵜渡川原の総鎮守となり、観音寺がその別当として確立,その後は豪農本間家の外護もあり再び寺運も隆盛します。明治時代初頭に発令された神仏分離令により神式が排され、観音堂は観音寺所有となりました。
現在の観音堂は弘化3年(1846)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面3間軒唐破風向拝付、向拝欄間には龍、麒麟、亀、唐破風には鳳凰、木鼻には象、獅子、蝦虹梁上部には4体の力士像が安置しています。
庄内三十三観音霊場番外札所(御詠歌:にごりたる つみもながれて うどがはら こころにうかぶ じひのつきかげ)。庄内平和百観音霊場第37番札所(御詠歌:幾世々の 罪障は流れて 鵜渡河原 今こそ仰ぐ 慈悲の月影)。宗派:真言宗智山派。本尊:十一面観世音菩薩。
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