舟形町と義経伝説: 「義経記」では会津の津(本合海)から亀割山を越え平泉に向かったとされますが、舟形町ではそれとは異なる伝承が伝わっています。
・ 猿羽根村近くで宿泊し、北の方が産着を絹で縫った伝承から絹縫という地名の由来となった。
・ 猿羽根村近くで宿泊し、義経一行の破れた着物を縫った伝承から絹縫という地名の由来となった。
・ 義経一行が獅子口で休憩した。
・ 義経一行が川岸で穴(窪)を掘りそこに水を溜め汚れた手足を洗った。
・ 獅子口の対岸にある熊野神社で、出羽三山に代参した弁慶と合流した。
・ 実栗屋から毒沢へ笈を利用して渡ったので「笈渡」という地名の由来となりそれが転じて「折渡」となった。
・ 上記の笈を乾かした松は「笈掛の松」と呼ばれるようになった。
・ 一関集落には関所がある義経一行を厳しく詮議した。
・ 義経一行は伊藤半平衛から粟3升借り、明治時代までその証文が残っていた。
・ 義経一行は舟形から大平、稲先(ウサギシッタイ)、市野々、休場、亀割山へと向かっていった。
・ 舟形から北に進路をとり夜道を進み明け方となり一番鶏が鳴いたので鳥越(新庄市)と呼ぶようになった。
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