瀬見温泉(山形県最上町)・温泉街

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瀬見温泉・温泉街

瀬見温泉と「義経記」: 瀬見温泉は特に「義経記」で記載されている訳でも、暗示されている訳ではありません。しかし、瀬見温泉の温泉街に伝えられている由来によると、北の方の出産で利用する産湯を求めて亀割山を下りた弁慶が大声で呪文を唱えると川底から紫雲が立ち昇った事から、そこを薙刀(せみ丸)で撃ち付けると霊泉(現在の薬研湯)が懇々と湧き出たと伝えられています。「義経記」では弁慶は単に水瓶で水を汲みに行っただけでしたが、瀬見温泉では弁慶が源泉を発見した事になっています。さらに義経一行は旅の疲れと、北の方の産後の安静を兼ねて産屋(現在の山神社)を設けて数日間瀬見温泉に滞在したとも云われています。因みに温泉名である瀬見は源泉を発見した弁慶の薙刀の名称「せみ丸」に因んだものとされます。

瀬見温泉は奥州街道と羽州街道を繋ぐ出羽街道沿いにある事から物資の運搬車や旅人から利用され、特に江戸時代には新庄藩主戸沢家の御殿湯として保護され「ふかし湯」を楽しんでいたようです。温泉街の中心に鎮座する湯前神社は瀬見温泉の守護神で、神社と号するものの、仏教色が強い薬師如来と不動明王が祀られ、例祭(瀬見温泉まつり)である8月31日・9月1日には岩手県平泉町にある毛越寺の僧侶により祈祷が行なわれ、御利益がある散華を撒きながら、温泉街を練り歩き最後は義経縁の亀割子安観音堂で供養祭が執り行われています。

瀬見温泉:温泉街 瀬見温泉:温泉街 源義経:銅像 亀割子安観音堂
弁慶の硯石 山神社 弁慶の投げ松 薬研湯

瀬見温泉の義経・弁慶関係史跡
亀割子安観音-北の方の出産の故事に因み,安産に御利益があるとされます。小国西国三十三観音霊場12番札所。
・ 亀割子安観音奥之院−北の方が出産した場所。亀割山山頂に近い場所に石碑有り。
薬研湯-弁慶が発見した瀬見温泉の源泉の1つ。川の水を引き込んで温度調整するとされます。源泉温度70度。
弁慶の投げ松−弁慶が亀割山の山頂から投げ付けた松。現在は数代目とされます。
弁慶の硯石-義経の子供を命名(亀若丸「義経記」では亀鶴御前)する際に弁慶が硯として使ったとされます。
・ 弁慶の笈掛け桜−弁慶が笈(背負い箱)を掛けた桜(現在は枯朽)。
山神社−北の方の産屋で、養生の為に数日間ここで過したそうです。
・ 判官楯−義経一行が瀬見温泉滞在中の見張り台。

奥州平泉への道・山形県での逃避経路

鼠ヶ関
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三瀬気比神社
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出羽三山
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清川
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白糸の滝
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会津の津
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亀割山
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瀬見温泉
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尿前の関
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鳴子温泉
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