吉祥院千手堂(山形市)概要: 守国山吉祥院は山形県山形市大字千手堂に境内を構えている天台宗の寺院です。吉祥院の創建は天平9年(737)、行基菩薩により開かれたのが始まりとされます。
伝承によると当時の出羽国(現在の秋田県、青森県)は疫病が蔓延し多くの住民が危機的な状況となり、それ危惧した天皇は行基に勅命を出し疫病退散と疫病平癒の祈願をさせ、行基もそれに応えて阿弥陀如来・千手観世音菩薩・薬師如来の3体を自ら彫刻し祈願するとまもなく念願成就し出羽国に安寧が訪れたと伝えられています。
以来、歴代領主から庇護され延文5年(1360)には初代山形城の城主で最上家の祖となった斯波兼頼が堂宇を再建し、応永年間(1394)に最上満家(最上家4代宗家)が観音堂を再建、さらに天文12年(1543)には最上義守(最上家第10代宗家)が堂宇を修復、再建しています。
又、吉祥院観音堂(本堂)に設置されている宮殿は慶長年間(1596〜1615年)、最上義光(最上家11代宗家、山形藩初代藩主)が母親の供養の為に寄進したとされます。
現在は最上三十三観音霊場第3番札所となっていますが、以前は1番札所だったとされ慶長8年(1603)に義光が奉納した「御詠歌額」には「第一番千手堂」と記載されており現在の扁額でも「出羽一仏」が掲げられています。
吉祥院本尊の千手観世音菩薩立像は行基菩薩が彫刻したとの伝承が残っている古仏で、平安時代初期から中期作、欅材、一木造、像高182cm、昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。同様に木造菩薩形立像は昭和53年(1978)、木造天部形立像は平成22年(2010)に山形県指定有形文化財に指定されています。
吉祥院観音堂は室町時代に建てられたもので、宝形造、銅板葺(元茅葺)、桁行3間、梁間3間、外壁は真壁造り板張り、当時の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和43年(1968)に山形市指定有形文化財に指定されています。
観音堂内部に設置されている宮殿は江戸時代初期に建てられたもので入母屋、こけら葺、桁行5尺8寸、梁間3尺7寸5分、貴重な事から昭和43年(1968)に山形市指定有形文化財に指定されています。
最上三十三観音霊場第3番札所(札所本尊:千手観世音菩薩、伝:行基菩薩作・御詠歌:はなをみて いまやたをらん せんじゅどう にはのちぐさも さかりなるらん)。
山形百八地蔵尊霊場第32番(札所本尊:正直太郎吉地蔵)。奥羽三十六お薬師霊場第32番札所(札所本尊:薬師如来)。山号:守国山。宗派:天台宗。本尊:千手観世音菩薩。
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