山形市: 万松寺

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概要・歴史・観光・見所

万松寺(山形市)概要: 千歳山万松寺は山形県山形市平清水に境内を構えている曹洞宗の寺院です。万松寺の創建は奈良時代末期、阿古耶姫によって開かれたのが始まりとされます。阿古耶姫は中納言藤原豊充(藤原鎌足の曽孫)の娘とされ、信夫郡司として当地に赴任してきた際、随行したきたそうです。

そこで、千歳山の古松の化身である名取太郎と恋仲となりましたが、古松が名取川の橋を架ける際、木材として伐採されてしまいます。姫は仏門に入り出家すると千歳山の山頂に松(阿古耶の松)を植え、麓に草庵を設けて名取太郎の供養をし生涯を終えると境内に葬られたと伝えられてます。

都にもその話が伝わると実方中将(藤原実方:平安時代中期の貴族・歌人)も阿古耶の松を見る為に当地を訪れ、それを見た中将は感銘を受け生涯をこの地で暮らし万松寺に葬られました(宮城県名取市北野にも実方中将の墓があります)。

当初は宗派も無い小さな寺院でしたが行基菩薩が巡錫で訪れた際、法相宗の寺院として改宗開山し、さらに後年、慈覚大師円仁が訪れた際に天台宗に改宗しています。その後、衰微しましたが清厳良浄禅師(岩手県奥州市:正法寺3世)が曹洞宗に改宗開山しています。

その後は歴代領主から庇護され山形城の城主最上義光は寺領60石を安堵し、天正年間(1573〜1593年)に山形城を改修した際、旧城門(大手門・南門)を当寺に寄進しています。現在の万松寺山門は山形城の移築城門と伝えられるもので、切妻、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、下層部外壁は粗柱のみの吹き放し、上層部は真壁造白漆喰仕上げ、正面には「千歳山」の山号額が掲げられています。

万松寺仏殿は宝暦9年(1759)に建立されたもので、二重入母屋造、銅板葺、平入、桁行8間、梁間8間、高さ7間、内部の床は土間で、本尊(中尊:釈迦牟尼仏立象像・脇仏:如意輪観世音菩薩座像)や脇侍(大迦葉尊者立像・阿難陀尊者立像)、不動明王立像が安置されています。万松寺仏殿は江戸時代中期の御堂建築の遺構として貴重な事から平成2年(1990)に山形市指定有形文化財に指定されています。

境内には阿古耶姫、藤原実方朝臣、中将姫(十六夜姫)の墓碑が建立されています。山形十三仏霊場第13番札所(札所本尊:虚空蔵菩薩・御詠歌:あらたかや 虚空蔵菩薩の 御心は 救わでやまず 慈悲をまつやま)。山形百八地蔵尊霊場第1番札所。羽州山形七福神(札所本尊:福禄寿)。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。

万松寺:写真

万松寺
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