山形市: 専称寺

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概要・歴史・観光・見所
専称寺(山形市)概要: 専称寺(山形市)最上山専称寺の創建は文明15年(1483)に願正上人(本願寺第8世蓮如の高弟)が開山したと伝えられています。当初は天童市の高擶にあり願行寺と称していましたが天文6年(1537)頃に専称寺と改め慶長4年(1596)に最上義光が山形城の城下町に移し寺領14石と境内地8町四方を寄進し門前には13ケ寺の塔頭が建ち並ぶ一大寺町を形成しました。これは義光の次女駒姫の菩提を弔う為で境内の東北端には墓(供養塔:遺髪が埋められたとも)が建立されています。駒姫は当時15歳で豊臣秀吉の養子になった秀次の侍妾となり文禄4年(1595)に上洛しました。しかし、秀次は関白という地位に付いたものの、秀吉の実子である秀頼が生まれた為、半ば排斥されるように高野山に流され切腹、駒姫も連座され三条河原で処刑されました。義光は駒姫の辞世の句「罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つのさわりあるべき」を聞き及ぶと無念から豊臣家に恨みを抱き、関が原の戦いでは東軍(徳川家)に与したとも云われています。現在の本堂は元禄16年(1703)に再建されたもので入母屋、銅板葺、桁行き15間、梁間13間、正面1間向拝付、大屋根の高さ25mの大型木造建築物で、屋根四隅には名工・左甚五郎が彫り上げた通称「夜鳴力士像」が鎮座しています。左甚五郎の彫刻作品は魂が宿ると云われ専称寺では力士像が余りに屋根が重い為、毎晩泣きながら屋根を支えたとの伝承から「夜鳴力士像」と呼ばれるようになったと伝えられています(余りにも夜鳴きが五月蝿かった為、ある晩住職が鉄砲を打ち込むと大人しくなり、以来、鳴く事がなくなったとも)。専称寺本堂は江戸時代中期の大型寺院本堂建築の遺構として貴重な事から平成2年(1990)に山形市指定有形文化財に指定されています。専称寺境内にある鐘楼は桃山時代に建立したと伝えられる建物で切妻、銅板葺、懸魚や蟇股に彫刻、昭和28年(1953)に山形県指定有形文化財に指定されています。梵鐘は豊臣秀吉から天下一の名工と呼ばれた京都三条出身の鋳物師西村道仁が慶長11年(1606)に製作したもので全高115.4cm、口径67.3cm、乳状突起4列4段、昭和27年(1952)に山形県指定有形文化財に指定されています。宗派:浄土真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来(伝春日作)。

専称寺の文化財
 ・ 鐘楼−桃山時代−切妻、銅板葺−山形県指定文化財
 ・ 梵鐘−慶長11年−名工西村道仁作−高さ115.4cm−山形県指定文化財
 ・ 絹本著色願正上人像(無款)−桃山時代−狩野派作(推定)−山形県指定文化財
 ・ 絹本著色義光夫人像(無款)−大崎夫人画像−山形県指定文化財
 ・ 砧青慈筍節花瓶−南宋時代−伝:最上家寄進−山形県指定文化財
 ・ 専称寺大銀杏−樹高35m、幹周6.5m−山形県指定天然記念物
 ・ 専称寺本堂−元禄16年−入母屋、銅板葺−山形市指定文化財

専称寺
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