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| 鳥海山大物忌神社(蕨岡口之宮) |
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| [ 付近地図: 山形県飽海郡遊佐町 ]・[ 遊佐町フィールドワーク ] |
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| 鳥海山大物忌神社(蕨岡口之宮)概要: 大物忌神社の創建は由緒によれば景行25年(275)に鳥海山の山頂に鎮座したと伝えられ、出羽国一宮として古来から信仰を集めていました。延喜式の式内社でもあり、歴代天皇や、支配階級にも崇敬され、前九年合戦、後三年合戦時には源義家が戦勝祈願し、中世は北畠氏、近世に入ると酒井氏が庇護して社領や社殿の再建をしています。又、大物忌神社は中世から山岳信仰の拠点となり、神仏混合の形態を長い間続けていて、平安末期には龍頭寺を筆頭に山岳密教寺院が33坊数えていましが、前九年合戦の際、兵火に巻き込まれ焼失し、多くは離散していきました。中世になると龍頭寺が一定の勢力を持つようになり僧兵による武力が増大する事になり、大物忌神社の境内は武装化され現在でも土塁や空掘りなどの城郭を思わせる遺構を見る事が出来ます。近世に入ると鳥海山の山頂を巡り、庄内藩と矢島藩(秋田県矢島町)の山伏同士の争いが藩を巻き込む事となり、幕府が裁定に乗り出すといった騒動が起こります。結果、親藩で石高が高い酒田藩が幕閣と結び、当時山頂に藩境があったものが6合目まで秋田県側に食い込むといった歪な県境となりました。又、同じ遊佐町にある吹浦の大物忌神社とどちらが出羽国一宮かといった抗争が起こり、これも幕府の裁定で鳥海山山頂を本社とし一宮とする事に決めました。明治に入り神仏分離令により当初鳥海山大権現と称したいたものを大物忌神社と改名したものの、一方の吹浦口之宮のみが国幣中社に指定された事で再びいざこざが起こり、前例にならい、蕨岡、吹浦の両神社を口之宮(里宮)とし山頂の本社を国幣中社とし3社あわせて鳥海山大物忌神社と改名しました。
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