遊佐町・歴史・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所
遊佐町(歴史)概要: 遊佐町は鳥海山と繋がりの深い地域です。遊佐町には鳥海山山頂の大物忌神社本宮を始め、吹浦口之宮蕨岡口之宮があり古来から信仰されてきました。特に鳥海山は活火山だった為、たびたび噴火を繰り返し神の山として考えられ朝廷や幕府などの権力者からも崇敬されました。中世には神仏混合となり多くの修験者が遊佐町周辺に集まり、杉沢熊野神社では「杉沢比山」と呼ばれる神楽を伝承するなど独自の文化が伝わっています。又、遊佐町は古くから開けていた地域で、延喜式で記されている「駅」や「吹浦湊」があり出羽国府(城輪柵)と秋田城(秋田市寺内)を結ぶ重要な役割を持っていたと考えられています。

平安時代からは「遊佐荘」と呼ばれる荘園が置かれ延長5年(927)の記録では荘園主に遊佐太郎繁元、繁光の名前が記されています。その後遊佐荘は平泉(岩手県平泉町)に本拠がある藤原基衛、久安4年(1148)には摂関家である藤原頼長へ所領が変わっています。江戸時代に入ると庄内藩に属し、秋田から新潟にかけての羽州浜街道が整備されると藩境付近にあった女鹿集落に番所を置いて人や荷物の管理をしました。

松尾芭蕉も「奥の細道」行脚の際、遊佐町を通り象潟へ訪れていて元禄2年6月15日に吹浦に一泊し難所だった三崎峠で難儀したことが曽良日記に記されています。戊辰戦争では庄内藩は奥羽越列藩同盟に組した為、政府側に回った秋田藩と矢島藩と交戦状態となり三崎峠は戦場となり双方に犠牲者がでています。

遊佐町・町並み:写真

遊佐町
[ 付近地図: 山形県遊佐町 ]・[ 関係サイト: 山形県遊佐町 ]
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遊佐町・歴史・神社・寺院・古民家・城郭

大物忌神社
大物忌神社(吹浦)
吹浦大物忌神社
丸池様
丸池様
丸池様
大物忌神社
大物忌神社(蕨岡)
蕨岡大物忌神社
龍頭寺
龍頭寺
龍頭寺
大泉坊
大泉坊長屋門
大泉坊長屋門
杉沢比
杉沢熊野神社
杉沢熊野神社
十六羅漢岩
十六羅漢岩
十六羅漢岩
旧青山本邸
旧青山本邸
旧青山本邸
永泉寺
永泉寺(多層塔)
永泉寺
剱龍神社
剱龍神社
剱龍神社
高瀬峡
高瀬峡
高瀬峡
二の滝渓谷
二の滝渓谷
二の滝渓谷
胴腹不動堂
胴腹不動堂
胴腹不動堂
胴腹滝
胴腹滝
胴腹滝
松葉寺
松葉寺
松葉寺
神泉の水
神泉の水
神泉の水
大師堂
大師堂
大師堂
海禅寺
海禅寺
海禅寺
中ノ宮
大物忌神社中ノ宮
大物忌神社
諏訪神社
諏訪神社
諏訪神社


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