出羽三山(歴史)概要: 出羽三山は羽黒山、月山、湯殿山の三山の総称で古くから信仰の対象となった霊山で、修験僧のみならず多くの参拝者が年間を通して参詣しています。出羽三山の創建は推古元年(593)に蜂子皇子が羽黒大神を勧請した事が始まりとされ、蜂子皇子は羽黒山には寂光寺を開山すると月山、湯殿山(古くは葉山が出羽三山の1つとされ湯殿山は出羽三山の奥院として別格視されていました。)と次々に開いて出羽三山修験の祖を築きました。出羽神社は当初、伊デ波神社として延喜式神名帳に記載された式内社としても信仰を集め、月山神社も式内社で特に名神大社という格式の高い神社と崇敬されてきました。特に歴代領主だけでなく朝廷や幕府などの中央権力からも崇敬され社領や社殿の造営などが長年に渡って行われていました。又、出羽三山は神仏混合の形態を当初から取り「羽黒山=出羽神社=羽黒権現(伊?波神・稲倉魂命)=正観世音菩薩」、「月山=月山神社=月山権現(月読命)=阿弥陀如来」、「湯殿山=湯殿山神社=湯殿山権現(大山祇神・大己貴命・少彦名命)=大日如来 」として出羽三山のそれぞれの頂にある神社を中心に多くの寺院や宿坊が軒を連ね、特に羽黒町手向集落は一大門前町として発展しました。明治時代初頭に神仏分離令が発令後は出羽神社と改称し、月山と湯殿山が冬季間豪雪の為、司祭や参拝が困難なことから出羽三山神社の社殿で合祭する形をとっています。旧社格としては月山神社が官幣大社、出羽神社と湯殿山神社が国幣小社に指定されていました。又、山麓には現在でも宿坊が建ち並び出羽三山信仰の厚さが感じられます。
出羽三山関係の文化財(建築)
・ 羽黒山五重塔−室町時代−高さ29m、方三間、こけら葺、素地造−国宝
・ 羽黒山正善院黄金堂−文禄5年−宝形造、銅版葺−国指定重要文化財
・ 羽黒山三神合祭殿−文政元年−入母屋、茅葺−国指定重要文化財
・ 鐘楼−建治元年−口径1.68m、厚22cm−国指定重要文化財
・ 旧日月寺本堂−天保12年−寄棟、桁行66.9m−国指定重要文化財
・ 大日坊仁王門−室町以前−寄棟、茅葺、三間一戸−山形県指定文化財
・ 羽黒山東照宮−元禄3年−権現造、銅板葺−鶴岡市指定文化財
・ 羽黒山蜂子神社−宝形造、銅板葺、方三間−鶴岡市指定文化財
・ 羽黒山斎館(旧華蔵院・先達寺院)−元禄10年−鶴岡市指定文化財
・ 羽黒山厳島神社−宝形造、銅板葺、方三間−鶴岡市指定文化財
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