蜂子神社(出羽三山神社)概要: 蜂子神社の創建は元和5年(1619)、当時の羽黒山別当だった宥俊が開山堂を建立し羽黒山修験の開祖である蜂子皇子の尊像を祀ったのが始まりとされます。
蜂子皇子は崇峻天皇の第三子と生まれましたが、当時は蘇我氏の台頭などで朝廷内が不安定(崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されるなど)な状態だった為、推古元年(593)に日本海を北上し難を逃れました。
皇子が庄内の由良港に上陸した時、一羽の烏(三本足)に導かれ羽黒山に登ったとされ、その後、羽黒大神を勧請し、次いで月山、湯殿山と開山しました。
社殿の建立年は手元に資料がなく分かりませんが、宝形造り、銅板葺き、桁行3間、梁間4間、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造、板張り素地、組物や彫刻など凝った造りで、花頭窓があるなど寺院建築の特徴を備えています。木鼻には通常、獅子や象、龍ですが、蜂子神社では鳥(烏?)が彫りこまれ、蜂子皇子の由来に縁のあるものにしたと思われます。
建物の形態から神社風に改修しているようですが神仏習合時代には羽黒山の開山堂で、明治時代初頭に発令された神仏分離令により蜂子神社に改称しています。蜂子神社社殿は貴重な存在で平成17年(2005)に鶴岡市指定有形文化財に指定されています。
内部に安置されている木造蜂子皇子御尊像は元々五重塔に安置されていましたが元和5年(1619)に開山堂の本尊として移されました。神仏分離令が発令され出羽三山でも仏教色が廃されると、廃仏毀釈を恐れ仏教色の強い尊像は社殿奥に隠され、そのまま秘仏となっています。
毎年8月21日の例祭には社殿の前に護摩壇を設け山伏達が大柴燈際を行い天下安寧の祈願します。蜂子皇子の墓所は出羽三山神社境内にあり現在も宮内庁によって管理されています。
又、蜂子神社の社殿は日本遺産、出羽三山「生まれかわりの旅」の構成文化財に認定されています。
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